こういう星の元に生まれたのかもしれない

海外生活から得た知識・ワーホリ・その他諸々についてPeppa Pigをこよなく愛す女が筆跡中。

ホストファミリーとトラブル!ホームステイはもうこりごり。

こんにちは、3度の飯より好きなものなんかない、タイです。

 

そんなタイがもうこりごりなもの。それはところ天とホームステイ。

 

ホームステイをオススメしない理由は書きましたが、まだまだあります。むしろあれは結果論で、今からお話しすることは実体験です。

 

ホームステイをオススメしない理由をまだ読んでない人はこちら⇩

thaiism.hatenablog.com

 

 ホストファミリーという幻想に夢を見ている女に突きつけられた現実。それは異国の地で戦おうとしているワーホリ初心者には余りにも辛く、外国にいるんだということを痛感した出来事でもありました。

 

 

ホームステイは留学エージェントからの甘い罠?

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そもそもなぜホームステイということになったのか。

 

それは留学エージェントから与えられた選択肢、「ホームステイするか、寮に入るかどっちにします?」 から始まった。


でも当時のタイには何の知識もなく、ホームステイ・ホストファミリーといった、いかにも留学っぽい響きが魅力的で、ホームステイ希望を即決。

 

海外来て、寮に入る選択肢する人なんている?

 
そんな考えさえ浮かんだほど、当時のタイにはホームステイとは夢が詰まった理想郷そのものでした。

thaiism.hatenablog.com

 

 

タイのホストファミリーはどんな家族だったのか?

ホストファミリーは4人家族で、18歳と14歳のお年頃の娘ちゃんたち。長女は日本に旅行したこともあり、次女も選択科目で日本語を選択するなど、親日の家族でした。 


そして、ホストファミリーの元にもう一人スイス人の女の子・ダニエラがホームスティしていました。

 

キリスト教徒で毎週日曜日に家族と一緒に教会へ行っていたということもあって、家族とは仲良し。英語はペラペラというわけではなかったけど、意思疎通が問題なく出来るレベル。

 

この子を含め、6人で生活することになったのでした。

 

英語力が原因でホストファミリーが変化?

タイのホストファミリーは今までに何人も生徒を受け入れてきている為、生徒の受け入れに慣れている家族。最初家に行った時は右も左も分からないタイに最初は優しく接してくれました。

 

初日は和気あいあいと、リビングでテレビを見たのを覚えています。長女が日本に旅行に行った際に撮った写真(便器の写真だった)を見せてくれたり、日本の話をしたり。

 

でも2、3日すると、ホストマザーがタイにイライラしているのが日に日に伝わってくるのが分かりました。

 

その原因は英語が話せないからで、英語力がなさすぎてYesかNoかすら言えない状況だったから。リスニング力もなく、疑問形かすら分からないタイは何を言われてもあたふたするだけ。

 

しかもホストマザーはちゃきちゃきした性格で、早口。英語が出てこなくて、もたもたしていると、「早くして」と言わんばかりの目つきで見られることも多く、そのプレッシャーからタイは話すのが億劫になり、ホストマザーと話すのを避けるようになりました。

 

 

週末が憂鬱!家にいるとプレッシャーが。

土日は基本学校が休みなので、友だちと出かけるもよし、家でゆっくりするのも自由。のはずが、休みの日に家にいると昼食の有無が関わってくるので、ホストマザーが毎週の予定を聞いてきます。

 

それがまたプレッシャーなんですよね。

 

 

ある日、いきなりホストマザーに何かを聞かれて、何の事を聞かれているか分からなかったタイはとっさに「・・・Yes」と答えた事があったんです。

 

マザーはタイの答えに少しため息気味で、それでこの質問は「家にいるの?」だった事を悟ったタイ。

 

昼食にサンドイッチを出してくれたけど、タイが食べ終わるとなんと、ホストファミリーは自分たちには別のものを料理し始めて、何やら手作りハンバーグのようなものを焼いていて、ハンバーガーにしているのを目撃しました。

 

 

まぁこれは良く聞く話ですよね。

 

毎週週末になるとお昼を用意しなきゃいけないからなのか、家にいることを嫌がられたので、予定がなくても近所をぶらぶら散歩して家にいないようにしていました。

 

朝から何も食べていなくて、夕方まで近所をさまよっていたら熱中症らしい症状になってしまい、フラフラで帰宅。真夏のオーストラリア(しかもクイーンズランド州)をなめてました・・・

 

今思うとそこまでするのはアホらしいんですけど、当時のタイには頼れる人もいない異国で、そんな状態でも家にいるよりはマシだったんです。 

 

 

長女からの一言で、空気が一気に氷点下に

夕食時に、ホストマザーが今日は学校どうだった?とタイに話を振りました。

 

えっと・・・

 

 
言葉が思うように出てこない中、ジェスチャーをつけながら頑張って話していた時、長女が鼻で笑いながら言った一言。

 


「あなた酔ってるの?まるで酔っ払いみたいね!」

 

 

18歳の年頃の女の子だし、仕方ないかな、とも思いましたが、一生懸命話そうとしてる時に英語力がない事をからかわれて、酔っ払いみたいだなんて。しかもホストファミリーに言われたら、結構傷つきます。


ホストマザーが「やめなさい!」と言っていたのが更に追い討ちをかけて、タイは話そうとしていた口が開いたまま塞がらない。

 

 

一同、沈黙。

 

本当に逃げ出したかったです。

 

 

ダニエラとタイへの明らかな対応の違い

英語力や文化・性格の違いが影響して、同じ家でホームステイしていたスイス人の女の子・ダニエラとタイとでは、どうも扱いが違うなぁと思うことが多々ありました。

 

これは日本人の友だちも言っていた事で、一緒にホームステイしている子と自分の扱いが違うというケースは少なくはないみたいです。

 

そして決定的にスイス人の女の子との違いを見せつけられる出来事が起こりました。

 

明らかに差別!送り迎えまで区別?

週末になり、朝食中にダニエラが「今日は出かけるから、バス停まで送ってほしい」とホストマザーに頼んでいました。

 

タイのホームステイ先はバス停まで徒歩30分の距離にあったので、平日はホストマザーがバス停まで送ってくれていましたが、週末は学校がないので送ってはもらえず、遊びに行く時は自分で行くスタイル。

 

この日はタイ自身も予定があり、バス停まで行かなければ行けなかったので、出かける際に「一言、行ってきますって伝えよう(これも勉強)」と思い、近くの部屋で仕事をしていたマザーに話しかけようと決意。

 

意を決して、「Hi・・・」と言った瞬間、マザーはため息を付きながら、明らかに不機嫌そうなトーンで「…Yes?」と振り返る。

 

 

なんかしました?タイ( ᐛ )?

 

 

いやいやおかしいだろ。話しかけただけでこのため息?と思いながら、「・・・今から出かけるって言おうと思っただけ・・・」

 

そう言った瞬間、マザーの表情は笑顔に変わり、「なんだ!そうだったの!行ってらっしゃい」と急に変化。

 

あの後、バス停まで歩きながら色々考えた結果、きっと話しかけた時タイが「ダニエラも送ったんだし、わたしも送ってほしい」と言うと思ったんだろうな、と思いました。

 

そういうつもりじゃなかったんだけどな〜。ただ、コミュニケーションを取ったら少しは仲がマシになるかと思っただけなのに。

 

そんなモヤモヤした思いを抱えたまま、バス停までの30分を歩きました。

 

ちなみに後で知った話、ダニエラはバス停まで一度も歩いたことはなく、いつも送ってもらっていたそう。送って行く際、声ぐらいかけてくれても良くない?かとショックでした。

 

 

嵐を呼ぶ!ホストファミリーに本音を話し、号泣!

オーストラリアに来て、ホストファミリーとの生活も1ヶ月が経った頃、散々悩んで固執することに何の意味がある?と疑問に思い、3ヶ月だった契約を1ヶ月で終わりにしようと決意。

 

ホストマザーを部屋に呼び、ここを出たいと思っていること・もうシェアハウスも見つけてあり、学校側にも了承を得ていることを伝えました。

 

 

マザーの表情は一変。

 

 

嵐が起きた( ᐛ )

 

 

マザーは怒り狂い、早口で何やら色々叫ぶ叫ぶ。

 

遂に、怒り狂ったマザーは、ぐいぐい迫ってきて、タイの顔とマザーの顔はわずか10センチほどだったんじゃないだろうか。

 

分からないなりに頑張って聞き取り、タイが聞き取れたことは、

 

「わたしたちの何が不満なの!」「あなたは英語力を伸ばす為にここに来たのに何のチャレンジもしなかった」「その英語力でこれから仕事すら出来ないわよ」

 


ごもっともです。

 

 

マザーが正しいのは分かってました。でも毎日家に帰るのが嫌で仕方なかったし、せっかくある1年を無駄にしない為にも、シェアハウスに移る事を決めたのだ。

 

そしてマザーから最後に言われたのは、ワーホリでやりたい仕事の1つだった、オーペア(ベビーシッター)の仕事について。

 

「あなたオーペアやりたいって言ってたわよね?言っとくけど、あなたじゃ無理よ。そんな英語力で出来るわけないから」

 

 

未来まで否定する事なくない?

 

 

怒り狂ったマザーが部屋を出た後、号泣。

 

当時25歳、女泣き。

 

マザーがいい思いをしない事は予想はしていたけれど、予想以上に強烈でした。

 

これから2週間、どう過ごそうか。(解約は2週間前に伝えなければならないルールだった)そればっかり考えて毎日を過ごしていました。

 

 

ホストファザーまで不機嫌に。とうとう居場所がなくなってしまった

しばらくすると、言いすぎたと思ったらしく、持ち込み禁止のハズのお菓子を持って、タイの部屋に様子を見に来ました。

 

怒りが収まったマザーは逆にびっくりして、「泣くほどのことじゃないのよ」となだめてきた。

  

 

いや、お前な、原因。

 

 

でもそのおかげもあり、2週間はホストマザーは今までのイライラした様子とは打って変わって、タイの機嫌を取るかのようにして接してきました。

 

ただ、今まで一番仲良くしてくれていたホストファザーが完全に目も合わさない無視攻撃に出たのはキツかったです。

 

引越しの日、家族は出かけていて、誰一人として見送りはありませんでした。

 

唯一家にいたダニエラだけが見送ってくれ、家族とサヨナラすら言わずに、タイの短かったオーストラリアでのホームステイ生活は幕を閉じました。

 

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まとめ 

短いようで長かった苦い思い出の1ヶ月。でも今思えば、あの時出て正解だったと思います。

 

あのまま続けていても、家族とはギクシャクしたままだっただろうし、その後タイを待っていたのは、自由と、やっと海外に来た実感を得られる毎日。

  

海外生活に慣れた今でもホームステイするかと言われたら、絶対にしたくありません。それくらいタイには苦い思い出ですが、これも運なのできっと本当の家族みたいに接してもらってる人たちもいるだろうなと思います。

 

そう言う人たちはラッキー!って思ってホームステイを思いっきり楽しんでください。